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2013-11-22(Fri)

色々

■自分の中の矛盾をそのまま受け入れられないとなると、自分のための建前上(変な表現になった)矛盾しないために強い思い込みが必要になってくるのかもしれない。

■あることを、本当は理解できているのに何となく「理解できない(わからない)」と口走ってしまったり、理解できていない振りをするのは、それを受け入れ(よとす)ると(理解してしまうと)、自分の経験や既に自分のなかにある知識や考えと矛盾してしまうとき。
人は情報を素直に(純粋な正誤判断で)インプットできると思ったら大間違いで、その事を留意しておかないと色んなことを見誤る。

■「繊細さ」と「肥大した自己」(自意識の肥大?)は「紙一重」と言うか、「表裏一体」なのかも、なんて思うことがある。 「肥大した自己」なんて、傷付きやすいに決まってる。「一義的な自己」や「『自己』の自明さ」を疑いだしたら、傷付きにくくなった気がする。気のせいかもだけど。
恥ずかしながらつい何年か前まで「自分が生き難いのは繊細だから」と思い上がっていたけど、只の自己肥大だったのかも知れない。
自分の繊細さを疑わずにきたもとになるものには、「繊細さを失いたくない、失って誰かを無神経に傷つける様な人になりたくない」と言うのがあったと思う。その正義めいた装いによって「繊細さ」と呼ぶものの正体に盲目的になっていた気がする。
しかし、ここで「傷つけたく(否定したく)ないと」心配る「誰か」とは、繊細な人、傷付きやすい人、同じように自己を肥大させた人、自己を肥大させた自分を正当化させれる仲間、つまり自分の為だったのかも知れない。
自己が肥大しきってどこにまでも「私」がある人間は無神経とは呼べないのか。いつまでも正当化を繰り返す人間は無神経と言えないのか。
解らない「他者」が登場しない(排他する)世界に生きて。何処までも、自己の投影で推し測ろうとする。
その方法で得た痛みに過剰に反応することは繊細さなのか。
本当の繊細さをもつなら「わかる」と言う思い込みに囚われず、「わからない」ことへイマジネーションを働かせることができるのじゃないか。

■一度、正義めいた装いをしてしまったもの(自分の中で正当性を帯びた言い分)は、自省し難いものになる。
あと、自分(の立場)を優位足らしめている理屈は疑い難く、自分(の立場)を劣位に貶めているものは、容易に歪めた捉え方をしてしまいがちか。

■おおまがとき血を浴びせられたごとくビニルハウスの中 一人ひとを送った明くる朝はまた白無垢の装いの百合

■阿呆みたいに好きな人なのに顔を忘れた 深夜コンビニのコピー機から這い出てくるフルカラープリントの花

■火のなかで気紛れに炎え残り 紫陽花いろに変色した記録写真のなかの遠い親族の顔
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Author:鳥はとびつつ老いてゆくのみ
かく撃ち抜かれたる兵士の眼

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