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2012-02-07(Tue)

いろいろ

■「私はこう言う人間です」って思い込んで、それにつじつま合わせる様にそう言う人間になっているのを、「自分と言うモノを客観的に捉えられている」と錯覚している人がいるけど、全然違うよな。だって自分が用意したものに合わせてるんだから。それで、「ほら私こう言う人間だったでしょ」と言われても。それは、「そう言う人間『だった』」んじゃなくて「そう言う人間に『なった』」でしょ。後から得た整合性。後だしジャンケンみたいなものだよ。客観的とは言わないよ。

■起こった事に対して「受け入れる」って言葉が使われるけど。
「受け入れる(受け入れている)」って言うのは具体的にどう言う状態を指すのだろう。
その事を「否定しないで認める」状態だと思っているけれど、
その事に対して「蟠りのない状態」を指して「受け入れる」って言葉を使うことが多いと思う。
自分を納得させる「呪文」の様な使われかたがされている気がする。

「否定しないで認める」=「蟠りがなくなる」訳ではない。
否定しないで認めるからこそ蟠りが生じることもあるし。
否定して認めないから蟠りが生じていない場合だってある。

■「貴方が泉に落としたのは、この味つけ海苔ですか?それともこの韓国海苔ですか?」「いいえ、私が落としたのはただの焼き海苔です。」

■そのことに付いて考えなければ、そのことに対して「わからない」と言う状況は起きない。
「わからない」と言う状況が起きていないからと言って「考えていない」ことと「わかっている」を混同していることは幾らでも有ると思う。

■一般的なコンセンサスにより正の方向へ働くコンテンツを使って緩い作品が生産されていくとそのコンテンツに対して「緩い」と言う偏見ができるよなー。手を抜いてもコンテンツ自体の支持層によって一定の評価を得れそうだし。支持層はある程度緩いのを求めている気がするす。一方、真面目に作った方は偏見による篩をかけられた割を食わされそう。

■相手が正当性を得ようと感情論を理屈かの様に仕立て上げた言説をまくし立てるからこちっもどうでもいい理屈を捏ねて相手の痛い処をついて嫌われる。と言うのがだいたいいつも僕が女の子に嫌われるパターン。
正当性を得ようしていると言うことは、「受け入れて」ってことの様な気もするけど、大体その時点で受け入れても友達にしかなれない状況なので受け入れずに痛い処をつくと言う打算が働いてるからろくでもない。

■「恋愛のような『深いコミュニケーション』をとらない楽さ」の中には、「『自分はろくな人間ではない』と自覚しなくていい」と言うのはあるよなー

■一見、人当たりがよいけど仲間内で政治的立ち回りをしていて、人に優劣を付けている人を見ると萎える。
自分にまったくそう言う部分がないって訳ではないけど‥。
そんで、そいつの思惑通りまんまとその人が持て囃されてるコミュニティーを見るとそのコミュニティー全体に対して冷める。
で当の本人は、「そう立ち振る舞える事」がみんなにはない能力だと思ってるから始末が悪い。仲間内で政治的に立ち回れるのは「能力」じゃなくて「無節操さ」だぜ。
そんな立ち回りもっと別な所でやりなよ。

そうなると、ある集団の中で自分が政治的立ち回りをしてたと気付いてしまったら、その集団は仲間ではないと思っているのではないかなー。

■人間の瞼を「上瞼」と「下瞼」に分けたら、「下瞼」は常に閉じている事になるのかな(それ自体に開く力がない)。

「瞼」は「目蓋」だとしたら。本来、それ自体に開閉する力が備わっている上瞼より、
指などで開けてやらないと開かない下瞼の方が「蓋」と言う言葉は適切だよな。

上瞼は「自動ドア」に近い。
かと言って下瞼は「閉め切りの自動ドア」にはならない、何かのはずみに開閉を自力で出来るよになる訳じゃないから。

涙袋と下瞼は別物だよなー。
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