--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012-05-09(Wed)

色々

■食べたらうんこしたくなるのは道理だがバカっぽい。

■少しでもアブノーマルなプレイを要求すると「その欲求は性の逸脱現象です」と指摘していなす女の子、と言う設定の俺。

■本来、非特定的なものの中から他のものと区別をつけるために名前を付ける筈なのにその言葉が認知され拡がると色んな意味を包含するフラットな言葉になってまた非特定的になってゆくことがある。
ある言葉が一般化して使用される回数が多くなると解釈される機会も増える。そしてその解釈も一般化する。それが繰り返されていくと一つの言葉に多様性が生まれて、それが非特定的と言えるようになる。

■「脱皮した直後の虫のようなやわらかな人柄。」

■結局、排泄行為はせざる得ないので便意に堪えながら作業をすることは非効率的だと言うことに早く気づくべきだ、毎回。

■「アリゲーター」とか「クロコダイル」とか相応しいけど「ワニ」って何か呑気だな。「わに」だぞ、逆さに読むと庭だよ、呑気だ。

■「コレがわからないのはセンスがない」=「自分がわかるものは良いもの」で、「皆がわからないものは良くないもの」=「自分がわからないものはよくないもの」と言うよな使われかたがされている気がする。
それでもよいのだけど、それならば感性的評価の評価軸が実態のないモノだと言うことを認識しなければならないと思う。

例えばAさんとBさんが作品1に良い評価をしたが、作品2に対してAさんは悪い評価でBさんは良い評価をする。何てことは幾らでもある。
感性とは個人的なもので共有は不可能。
普遍である感性的な評価軸はない。
ただし権威主義が働く(「あの人が良いと言っているのだからこれは良いものだろう」)と共有してるかのような錯覚は起こりうる。
自分の感性では到底理解しがたい感性で成り立っている世界はいくらでもある。
創作活動をするのならば感性と言うものの正体を知ろうとするべきなのかも。
しかし、表現物に対して、理性だけでの評価とはないのではないかとも感じている。
理性的評価の利点は評価軸が定義付けできるところで、それをそのまま裏返した欠点は排他的なところだと思う。

■ベニチオ・デル・トロの男性シンボルが大きいかどうか僕は知らないけど、男性シンボルが大きそうな顔をしているし男性シンボルが大きそうな名前であると思う。余計なお世話だと思うが。

■上昇してきた自分の屁を吸ってしまうってことは、身体にとって不要または有害だから排外したモノを再び取り入れてしまうことなので身体機能に反抗してると言うことになる。なので移動しながらの放屁が正しい放屁の形である思う。

■差別対象になりやすい身体的特徴や内面的特徴を持った人達がその特徴を笑いに昇華する傾向を「良い」とする事を差別的でないと思っている人がいる。笑いにしてくれている方が気が楽かもしれないが、そのように条件付きで許容することがまず差別構造に当て嵌まっていると思うのだけど。
自分の特徴を「笑いとばせていないといけない」と言う考えがあってそれがマジョリティー側からマイノリティー側に向けられることはやはり差別だと思う。
それをやりたくないと言う意志も尊重されるべきだし、やりたくてもできないこと責められている気がして苦しくなる人もいるのではと思う。
それをやらなくても済むマジョリティーがマイノリティーにそれを求めるのはこくだなあと‥

■自分にとって役に立つものでも他者にとっては役に立たないものは無数にあるし、他者にとって役に立つものでも自分にとっては役に立たないものも無数にある。なので「役に立つかどうか?」を客観的に見たら、何か一つでも役に立たないと言えるならば全てのものは役に立たないと言えることになるし、何か一つでも役に立つと言えるのならば全てのものは役に立つと言えることになる。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

プロフィール

鳥はとびつつ老いてゆくのみ

Author:鳥はとびつつ老いてゆくのみ
かく撃ち抜かれたる兵士の眼

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク

FC2Ad

Powered by FC2 Blog

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。