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2013-01-19(Sat)

色々

■親にとって子供が何時までも子供である要因の一つは、単純に時間の経過速度の体感差なのだと思う。
子にとって随分昔の話が親にとってはついこないだの話なのだ。
斯く言う僕も、産んだ訳でも育てた訳でもない甥に対して何時までも小さなままと言う感覚を有している自覚がある(実際小さいのだけど)。
この括弧内の但し書きがそれそのものなのかもしれない。
祖母の僕に対する視線にもそれはある。
祖母の買い物を請け負おうとすると、その動機が子供が大人の真似をしたい買い物ごっこと同じ動機だと思っているんじゃないかと思える時がある。
何故ならば僕が買い物に行った後、よく話を聞くと、同じ買い物先へ行く予定が既にたっていることがあるからだ(友人との約束)。
そして、頼まれたものは特に重量のあるものでなかったりする。
食事は実家で取ることが殆どだから、そう言う意味では、経済的自立が100%できていない、なのでその視線が何時までも拭われることがないのかもしれない。
しかし、だからこそ恩返しとして役に立ちたいのだが、さっきの買い物の例のように役立たせてもらえていない。
何時までも子供なのだ。
どう見てもおっさんなのにだ 笑。
役にたちたいと言う願望が叶えられる贅沢は、経済的自立の向こうにあるのかもしれない。
作家でそれを目指す僕には親世代の好景気と言うアドバンテージがあったとしてもあんまり関係なさそうだ。
着地際で急にズレたようなまとめになってしまった。

■盲目的に、正しい人間でありたいと言う想いが強いと、他者の非より、自分の非に不寛容になっていて、自分に非がある状況が起こった(自分が正しくない立場に立つ)時、その状況の構成要因としてある他者がいたとすると、例えその他者に非がなくてもその他者に対して苛立ってしまうことはあるんじゃないか

■マジョリティーの、マイノリティに対する「多数の我々とは異なる者(理解きできないモノ)は、『笑え(われ)る』(自分達のわかり易い)形になった状態でないと許容しない(てやらない)」と言う大上段の姿勢(掌握しておきたいと言うさもしさ)が大っ嫌いだ。
いわゆる「オカマ」と言われる「明るくて面白い」と言うイメージで生きている人達は、よその国でもこんなにも多いものなのか。本当に、そう言う生き方をするかしないかに自由な選択と呼べるほどのモノがあるのか。多数がそう言う生き方に追いやっていると言う疑いを持たなくていいのか。
人の性質として「他人より優位でいたい」と言うのと「楽な方に流れる」と言うのが作用して、上だと思うものを越えるより既に下にあると思っているものを攻撃、制圧して、優位性を確かにするほうがコスト低い、と言う感じだと思つている。

■「非科学的だ」と言う言葉が批判として成り立つ世間でありながら、他人に対するなんらかの判断が、概して「経験の過度の一般化」か「投影」を根拠にしている。

■女性の胸よりお腹をさわるのが好きなのだけど。それは、肉(脂肪)ではなく内臓のやわらかさだから。水風船の、ゴムの変な引っ掛かりがすべすべ肌になったバージョン。動物だとふかふかバージョン。甥っ子達も腹筋ないから気持ちいけどもうそろそろ男のかたさ。そう考えるとあまり性的ではないな。
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かく撃ち抜かれたる兵士の眼

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