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2014-01-17(Fri)

色々

■実際はそんなことないのに勝手なイメージだけで、これとこれは両立しないって思い込んでいるもの結構ありそう。

■「〇〇が嫌い」と言ったときの「嫌い」は、「〇〇が好き」の「好き」よりも、〇〇の実体ではなくイメージに対しての情動である場合が多いと思う。だって嫌いなものは深く知ろうとしないでしょ。
あと、深く知ったことを好きになるのは、「深く知った」と言う「事」を無駄にしないのに合理的なこと、と言うのもあるだろうし。

■「解りやすさ」を追求した作品、それは親切な作品と言えるけど、悪く言おうとすれば受け手の力量を甘く見積もった作品とも言える。表すことの、精一杯の「取りこぼしのなさ」を目指し複雑化して解りにくくなってしまった作品は不親切と言えるけれど、取りこぼししまいと挑んだことは誠実さとも言える。
「解りにくさ」は、ただの出鱈目さから来る「解らなさ」と、ぱっと見ただけでは判別できない(混同される)かもしれない。しかし、作品の前で足を止めてもらった時の観手の誠実さに応えれる瞬間があるのかもしれない。

■自分の馬鹿を自覚していなくて、「自分の馬鹿も許容してもらっているから、他人の馬鹿も許容できる」と言うお互い様の構造化をできないと他人に厳しくなる気がする。
なので寛容であるために自分の馬鹿を自覚する(しようとする)と言う方法があると思う。
しかし、自分の馬鹿に寛容でない他人、その人の馬鹿に不寛容になってしまうかもしれない。その時は、自分の思わぬとこで思わぬ形で自分の馬鹿が許容されているかもしれないと言う想像力を働かせればいいし、一方的に自分だけが相手の馬鹿さを許容していると感じた時は、自分も何処かの誰かに、無自覚な馬鹿さを一方的に許容してもらってるかもしれないと言う想像力を働かせればいい。
他方で自分の馬鹿を「どうせ自分は馬鹿なんだから」と、開き直りの材料として(逃げ場として)機能させる(こっちの「馬鹿」は「自覚」と言うより人に指摘され自覚させられるものが多い気がする)と言うことはしたくないなー。

■「これはもう芸術だ」のように「ワンランク上のもの」みたいな意味で使われる「芸術」と、表現全般の総称としての「芸術」と(「表現」て言い方引っ掛かるけど他の言い方思い付かなかった)、「音楽」とか「イラスト」とか「映画」等、ジャンルを指す意味の「芸術」が混在していて、会話のなかで混同されるからややこしい話になる。

■肉親に対して構えなければならないのは寂しいことかもしれないが(「構える≒心許せない」なので)、構えるからこそ寛容な態度がとれると言うことがある。構えずに寛容な態度ができなくてお互いに不幸になって行くよりいい。
結局打算的な関係性しか家族と築けない自分へ「お前なにか欠落してんじゃないの感」はある。
家族が無条件に素晴らしいものみたいな前提が何となくあるから、素晴らしくなく感じることに後ろめたさを感じている人は沢山いる気がする。
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