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2015-04-08(Wed)

いろいろ

■普段、最も忘れがちなことは、諸々のことを忘れていること自体。忘れていることを忘れている。そのことを覚えておくのは困難だから、せめて何かを判断するときは保留する癖をつけて、保留したものを後に忘れている諸々に参照したい。

■目的を持った者は、目的に沿って物事を、意識的、無意識にか関わらず取捨選択(抽象/捨象)している。無数の目的の網目からこぼれ落ちたものは目的を忘れた場面でしか発見されない。

■「有名にならないと、売れなければ、人に認められなければ作品を作る意味がない」と言う言説が美術に適用されることの違和感の正体は単純に、それらの感覚がまさに、普段日常で優位な慣習的感覚そのもので、一方美術は普段優位ではない非慣習的なモノを浮き立たせるものだから。

■見える事によって触覚は視覚の下位情報(サブ、補填的)だったけれど、視覚情報を遮断することで、触覚をメインの情報収集感覚に引っ張り上げるって面白い。
そして、触覚の伝達は憑依的で、それはイタコの話と関係あるのか。
伝http://t.co/IchcmZmijI


■以前から思ってたけれど、ファション誌のモデルやアダルトな女優の写真の顔の修正やプリクラには、不気味の谷現象http://t.co/iDllsRtOztと同類のモノを感じる。
ロボットやCG(作り物)の方から人間に向かうモノと、人間の方から作り物(プリクラ、修正)に向かうモノ。

■恋愛における経験主義と言うのは、恋愛で辛い思いをしたなら、それ以降、再び辛い思いをしないために、「誰が好きか」ではなくて「誰なら(または、どうすれば)傷つかずにすむか」が相手(または行動)を選ぶ基準になる。
しかし、「辛い思いもするかもしれないことを引き受けること」は必ず恋愛に含まれる。なので、その選択は永遠に先伸ばしされ続ける。
更に本人は、選択の最中(恋愛するつもりでいる)なので、恋愛に不参加であることに無自覚。
無自覚な恋愛拒絶者。

かくあったは、意志の歯ぎしり
http://t.co/QwuoJzFadi

■作家さんで話を聞いていると凄く合理的な考え方の人がたまにいて、「でもそもそもそんな合理性の先には作品(用途のないもの〔少なくとも『分かりやすく』〕)なんて必要としない社会があるんじゃないか?」と言う言葉が出掛ける。
けれど、その人が作家で(作品づくりをしている)あるところ(自分にはわからないところ)に惹かれて言葉を飲み込む。

■寄生獣でもサイレントヒルでも「私(達)は何のために存在しているのか」と言う疑問を持っている非人間のキャラクターの「田宮良子(田村玲子)」と「マリア」が好きだけれども、人間にとっても考えたところで何も手がかりのない疑問のメタファーであるキャラクターだ。
考えても仕方ないのだけれども、何処か諦めきれないモノを引き受け(肩代わりし)てくれている。
これが非人間でなくて、人間だったら肩代わりは不可能なのかな。

■作品(制作)は「表現されたもの(表現すること)」に留まらないから、表現と言う行為と作品(制作)は同等じゃない。表現は制作行為の一部だし、表現されたものは作品の一部。

■自分がその場所で傷付か(けられ)ないことは、他の人がその場所で傷付か(けられ)ないことを保証している訳じゃないのに、自分の安全な場所は他人にも安全な場所だと思い込むことはある。

■ヴィトゲンシュタインの「語りえぬものについては沈黙を」の「沈黙」が制作なのかもしれない。

■他者承認て「他人に認められる」と言うことを根拠にした、「『他者経由』の『自己承認』」だと思うのだけど、違うのかな。
根拠が外部(他者)化されることで「承認『される/されない』」(批評)の精度が担保される、と言うことがあるのだ思うけど、「その『精度』は、ただ『外部化』されるだけで本当に担保されるのか?」と言う疑問が抜けている気がする。
もとより「多数の人に受け入れられる」と言うことがゴールなら問題はないのだけど。
それならば、それを支持してくれる人の数で測れるけれど、それ以外がゴール場合そんなに有効ではないと思う。
批評の中に他者性(自分にはない視点)が現れるのは、多数の人の目に触れる方が確率が上がるし、それをわざわざ告げてくれる親切な人の存在の増える確率も上がる。
しかし、同時に打算的な批評も増える。

■ただ「気に入らない」と言うのは対象のことを知らなくて言えるものだけれど、具体的に批判するには対象のことをちゃんと知らなければできない。
だから「批判」と「気に入らない」はある意味で逆と言えるのかも知れない。
「ただ『気に入らない』と言うだけで、或モノを『嫌い』と表明することは酷い」等と、ただ気に入らないだけで「気に入らない」と表明する事を抑圧すると、「ただ気に入らないモノ」を「嫌い」と言うために「嫌いな理由」を捏造しなければならなくなる。その時、概して「嫌い」であることを正当化する様な方便が生まれる。
そんな錯誤帰属的な「方便」を、第三者が鵜呑みにして、「ただある人があるものをだだ気に入らない」と言うことだけだった事実が、ねじ曲って、「あるもの」の「捏造された『悪いところ』」が伝わってしまうこともある。
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