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2015-12-22(Tue)

いろいろ

■人が「無意味」と言うときニュートラルなもの(こと)を指さないだろう。何らかのマイナスな意味が「無意味」の像を結んでいる。無意味にも意味を付加せずにはいられないことは、人の「その能力(性)から逃れられなさ」を表している気がする。
無意味が無価値と同義で使われているなら、意味は価値と同義なのだろうか。

■作品や制作、展示等の活動を自分語りの道具や手段にしているタイプの作家に、ふと「自分は何してるんだろう」と冷める瞬間があって、それと葛藤して、それでもそうせざる得なくてそうしているのかも、と想像したらグッときた。
制作しつつそれを何処にも発表しない最近の自分は、作品の道具化や制作、展示の手段化を極端に避けていて、さっきの書いたタイプの作家の裏面なだけで、投影的にグッときたのかも。

■同じ絵(展示)を観て印象(感想)がこんなにもバラバラなのに、他人を自分の投影で推し量ることが有効だなんて思える訳ない、と思った。

■知らないことを知っているつもりになる(無意識に知ったかぶりをしてしまう)脳の誤動作があるみたいだど、もしかしたらそれは日常生活に差し支えないものにせよ、少なからず誰にでもある適応力の類いなんじゃないかって思った。
世界から抽象したものに輪郭を持たせるため、最低限トートロジーでも「理解」に留め続ける能力なんじゃないか。
それがないと常にゲシュタルト崩壊みたいになってしまうんじゃないか。なんて、思った。

■「言葉は全てメタファーである」って、「例えば『痛い』と言う言葉は『痛み』そのものではない。つまり、『痛い』は『痛みを感じている現象そのもの』のメタファーである。」と言う理解だけど、「人間とは(我々は)、言葉である」と言う言葉と合わせると、人はメタファーで生きていると言うことになる。
「人間とは言葉である」と言うのは腑に落ちなかったけど、「人間はメタファーである(で生きている)」ならしっくりくる。しっくりくるってだけの話だけど。

■現行の社会が他者承認に偏重してるのは、資本主義的価値が隆盛していて、資本主義の性格は他者承認的なこともあるかな。

■人に好かれる/嫌われるが自分のどうにかできることの圏内にあることだと思っていると人間関係が辛いものに傾くのではないか。最初から自分がどうにかできるものではないと思っていたら少しは楽になるんじゃないか。
どうにもできない辛さは、どうにかできることだと思っていても結局くるのだから。

■主体が何かをコントロールすることがあっても、主体は主体そのものの有り様をコントロールできない。
例えば、作家になりたいと思って作家になるよう行動して、結果として作家と呼ばれて、それは一見コントロールしているように見えるけれど、しかし最初の「作家になりたい」と言う思いは「消防士になりたい」に置き換えるようコントロールできたかだろうか。

■人が、自分は周りの様々なことをコントロールできていると錯覚するのも、そう思い込むことで少しでも自分の存在意義をそのことに見出だして、自分を救ってるんじゃないかと思えてきた。
しかしそう思うのも、自分が今なんとなく行き着いてる結論を貧乏性的に汎用してるだけなのかも知れない。
まあ、自分のなかで理屈の整合性のある結論なのかも知れないけど。
人は自分のそんなことも知れない。
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